2014-01-01から1年間の記事一覧

不可知論3(基底還元論)

唯物論も観念論も、現象における各種存在者の相互作用を認める。また最終的な現象の行方を規定するのが、根源的に規定的優位にある存在だとみなす点でも、唯物論と観念論の間に差異は無い。もちろん唯物論はこの規定的優位者を物質だと考え、観念論はそれを…

宗教2

ソ連崩壊後20年以上を経過したの昨今の世界を見ると、共産主義に代わってイスラム原理主義が台頭し、かつて世界をにぎわせていた資本所有を巡る階級対立も、イスラムとイスラム以外の間の宗教対立にすっかり入れ替わった感がある。もちろんイスラム圏から…

唯物論5b(本質と概念)

概念が果たすべき最大の役割は、存在者の真偽判定を行うための意識上の真理マーカーである。個別の存在者は、この真理マーカーとしての概念と整合する限りでのみ存在者の真理に適合する。逆に言えば、概念と整合しない個別の存在者は、概念との比較において…

唯物論1c(虚偽観念)

唯物論から見た仮象には、物体に基礎づかない虚偽事実、または物理にそぐわない虚偽意識が含まれる。判り易そうな例示を言えば、ケンタウロスのような実在しない怪物の見聞録、または空中浮遊の念力のように実現不能な超常現象がこれらの仮象にあたる。これ…

唯物論5a(仮象と虚偽)

仮象とは、その表現する内容が実体に整合しない現象のことを言う。唯物論で考えるなら、例えば現象としての半月はそのような仮象に該当する。半月の見かけは、球体としての月の物理的実体と姿が整合しないからである。しかし現象が物理的実体ではなく、理念…

唯物論1b(素朴実在論)

往々にして素朴実在論は、感性的直観において現れるままに現象の存在を捉える考え方だと扱われる。しかし素朴実在論をこの説明だけで捉えた場合、経験論や現象学と唯物論の間で実在把握の見解に差異が無くなってしまう。つまりそれらの哲学は、おしなべて素…

日本と中国

3年前に中国が世界のGDPの第二位に躍り出て以来、東アジアにおける日本と中国の政治的および経済的な位置関係は、完全に逆転した感がある。今では東アジアの政治地図は、大中国と小日本の構図で理解され、欧米の認識も大中国に付随する小日本のさらなる…

唯物論6b(構造主義)

第二次大戦後に勃興した世界的な新左翼運動は1960年代中盤には既に、その表面的な過激さが増長したのと裏腹に、内実的な没落が進行していた。新左翼の過激なヒューマニズムは、現実軽視の脳無し行動主義において実際にはちっともヒューマニズムではない…

エリート・スクワッド ブラジル特殊部隊BOPE

「エリート・スクワッド ブラジル特殊部隊BOPE」 2010年製作ブラジル 監督 ジョゼ・バリージャ 主演 ヴァグネル・モーラ この映画はベルリン国際映画祭金熊賞を獲得した「エリート・スクワッド」の続編である。しかし続編と言っても、その筋立ては前作よ…

日本の少子化

日本は少子化の進行において、農村を中心にした多くの過疎地域で無人化が進み、将来的に列島全土において急激な人口減少局面に至るそうである。ただし未来の話に限らず、既に日本は景気回復の持続が難しい体質になりつつある。仮に庶民における可処分資産の…

唯物論7a(相対主義と絶対主義)

水の沸点は100度であり、凝固点は0度である。そもそも摂氏の温度設定は、この沸点と凝固点を基準にしている。ただし気圧が低ければ沸点は100度以下になるし、水に混雑物が溶解していれば凝固点も0度以下となる。沸騰や氷結が周辺環境に応じて変動す…

唯物論4b(物理的幸福と道徳的満足)

カントにおいて現象を規定する物自体は、目的因としてのイデア、すなわち理念である。一方で一見すると彼は、作用因として現れる物体を、物理現象を規定する独立の実体に扱っている。それではカントは、デカルトのような二元論なのかと言えば、そうではない…

唯物論3b(機械論と目的論)

投げ飛ばされた物体は自らの自由において自ら飛翔している錯覚を持つ、とスピノザは考えた。もちろんスピノザは、この錯覚を物体だけに限定した話にしていない。生物そして人間における自由の自覚についても、彼は同様のものとして考えている。すなわちスピ…

火垂るの墓

「火垂るの墓」1988年 製作日本 監督 高畑勲 原作 野坂昭如 反戦映画の基本スタイルは、加害者側における自己批判である。被害者側による加害者批判だと、往々にして被害者による加害者憎悪が表現されてしまう。そのような映画は反戦映画ではなく単なる戦争…

続・荒野の用心棒

「続・荒野の用心棒」1966年 製作イタリア 監督 セルジオ・コルブッチ 主演 フランコ・ネロ セルジオ・レオーネが作った「荒野の用心棒」が型破りな西部劇であったとすれば、セルジオ・コルブッチが作った「続・荒野の用心棒」は掟破りな西部劇であった。そ…

唯物論6a(情念の復権)

「判断力批判」においてカントは、真偽判断を判断力から除外し、趣味判断と道徳判断の二つだけを判断力の対象として抽出した。カントにおけるこのような形の判断力の限定は、対象認識の不可能性を一つの理由にしている。すなわちカントにおける物自体の不可…

ねじ式

60年代末につげ義春が発表した「ねじ式」は、ボディブローのように漫画表現のあり方を変えた。「ねじ式」が体現した映像の類似表現を捜そうとすれば、「櫻画報」「じゃりん子チエ」などの明示的なものから、「まんだら屋の良太」やアニメの「千と千尋の神…

矛盾の止揚(2)

自らと対峙する存在は、自らを存在と区別する。自らを存在と区別する以上、区別された自らは存在ではない。存在ではないものとは、非存在であり、無である。このように存在と無の二者が区別されるなら、既にそこには量や質、関係などの先験的カテゴリーも生…

矛盾の止揚(1)

弁証法の概念生成運動の表現として「質から量への転化/量から質への転化」「否定の否定」「対立物の相互浸透」がある。このうちの「対立物の相互浸透」は、エンゲルスがヘーゲルの「矛盾の止揚」を平易な物理的表現に言い換えたものである。もともと「矛盾…

否定の否定

弁証法の説明に登場する「質から量への転化」は、質として現れた存在者が、量としての一般存在に転化する様を表現し、「量から質への転化」はその同じ存在の量が一つの質的存在者に転化する様を表現する。この二つの転化は単なるコインの裏表でもあり、連続…

唯物論1a(物質と観念)

ヘーゲル弁証法は概念生成の動きを、存在の量的増減が質に転化したものとして理解する。例えば一本の木が数を増やせば林だが、大量の木々は森である。一滴の水は水溜りを作るが、水溜りが大きくなれば池にも湖にもなる。一度限りの出来事は偶然だが、毎度必…

不可知論2

不可知論は、ヒュームとカントの二系統で存在している。ヒューム型不可知論は、世界に真理や必然が存在せず、経験的な傾向と蓋然だけが存在する経験論である。もちろんこのような「『真理や必然は存在しない』という真理が、必然的に存在する」との言い方は…

唯物論3a(実在論と唯名論)

「一般」とは、普遍、または観念や抽象やイデア、または形式や形相、または本質や類または種として現れるものを言う。「一般」に対立して現れる「個別」は、物体や具体や現象、または質料、または現実存在や個体であったりする。「一般」は、プラトンではイ…